子供の障害に気づかない親②
ども、ぽんこちゅです。
今回は、学校での対応?について。
人並みの、当たり前の事ができなかった私は、担任の先生から
「学校始まって以来の問題児」と言われるまでになりました(担任が親にそう言った)
小学校4年~小学校卒業まで
父、母、妹、私の4人暮らしをしていて
その時うちは共働きで、
妹は母の実家に預けられ
私→朝ごはんを作って学校へ行く
↓
学校終わって帰ってくると家族誰もいない
↓
1人で晩御飯食べて就寝
↓
私が寝静まった頃に両親&妹帰宅
↓
父→自営業で基本的に休み無し
母→週二くらい?は休みがあった(多分、土日は保育園が無いから)
という感じで
1人で過ごす時間が圧倒的に多く
それを知って担任は、
「親が見ている時間が少ない、親の教育が悪い」と
母に電話で指導?したり
学校に何度も呼び出して
何が悪いのかわからない私、
教育が悪いと言われる母、
殴っても何しても直せない。
ずっとそのループでした。
先生が母を呼び出していたのは、
私が母に何も伝えられないから。
連絡帳を母に渡せない、
プリント類も渡せない、
そもそもノートに書き写す事が苦行だった私は連絡帳を書けず
給食が終わってみんなが外で遊んでいる間、私だけ残されて
担任の監視のもと、連絡帳を書かされていました。
そこに先生が毎回文章を添えていたのですが(これができていない、確認して下さいなど)
親に見せる、という事を忘れているので
当然伝わらず。
結果、担任から母に直接電話連絡し、
学校に呼び出されていました。
こうしてランドセルの底にたまっていくプリント達…!!
これはね、どんどん底がたまってきて
教科書が上に浮いていってフタがしまらなくなります( ・`ω・´)キリッ
漢字ドリル系は、折れ曲がって出てきます
(・∀・)b
私はこの頃、
「実は私って宇宙人なんじゃねーかな…」と思い始めました\(^o^)/
周りの言ってることがわからない
同じ事をしてたはずが、気づけば周りはもう違う事をしていて
みんなが何で楽しんで盛り上がってるのか
わからない
大人には、もっとみんなに混ざりなよと言うけど
混ざりたくても混ざれない
気づいたら仲間はずれになってる‹‹( ˙▿˙ )/››
図工の時間に絵を描きながら、
「私にはこう見えてるけど、みんなは違うのかもしれないなぁ」と思いました。
お花、と聞いて私にはお花はこう見える
猫、と聞いて私には猫はこう見える
でもそれは私だけで
聴こえてるものも、見えてるものも、
みんなと違うんじゃないか。
それは怖いことだけど、でもそう思うと納得がいく…Ҩ(´-ω-`)
まぁ今思うと、たしかに私の行動は少し?おかしかったようで…
怖いよねこんな小学生!
Σ(゚д゚;)
「独り言が激しくて怖い」というのはよく指摘されてたんですが(無自覚だし理由は覚えてない)
私は歩いている時に1番考え事をするので、
家を出てから学校に着くまでずっと独り言を言っていたと思います(怖)
ちなみに私は小学校4年の二学期から、
引っ越して違う小学校に転校しました。
前の小学校と違って「マリチカさんは発達障害なのでは?」と指摘する教師はおらず
とにかく「どうしようもない問題児」として扱われました。
落ちこぼれってやつです。
ネットが普及している現在と違って、
すぐに調べられない&まわりに聞くこともできなかった昔。
うちの子が障害かもしれない、と気軽に周りに相談しづらかった時代(当時は障害というと知能遅れ、なんて言葉しか出なかった)
会話していて特に問題もなかったので、
小学校4年からは障害などを疑われる事なく
「本人のやる気不足」としか思われませんでした。
でも今思うのは、
当時もし病院に行っていて、
発達障害だと診断がおりていたとして…
果たして、当時の担任や家族(特に祖父母)は
それをどう認識しただろうか?という事…。
(・ω・;#)
気づいたとして。
違う対応がされていただろうか…。
今回ちょっと長くなっちゃいました
(ฅ・᷄ὢ・᷅ฅ)
次回は、仕事編。
発達障害を打ち明けた際の、職場での反応を書いていきます。
ではまた!